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若き日の選択

私が16歳の高校1年生(1969年)の頃、ベトナム反戦運動学生運動が世界的に盛りがっていた。1970年6月にはあれだけ激しい運動があったにも関わらず日米安保条約が自動延長され潮が引くように学生も社会も沈静化していった。全共闘世代の学生たちも”髪を切って、小さな言い訳”をして攻撃していた大企業に就職し”大人になって”去っていってしました。高校生として残された”私”はどのような道を歩いたらよいかまるで、遊園地で迷子になった子供のような状況に陥った。

 しばらく考えあぐんだ末に、出した結論が「良心的兵役拒否」からヒントを受けて「良心的受験戦争拒否」という道だ。この間に「造反有理」「帝大解体」に「異議なし」のシュプレヒコールの中にいたせいもあって、大学受験制度に対して疑問から否定に変わっていた。否定は心情の問題で自分自身の心の内側の話であるが、行動としてどうすべきか別の話である。周りの多くの若者たちは心の内と外の行動を分ける賢さを持ち、小さな言い訳として、生きていくには「仕方ない」とつぶやきながらも行動としては服従の道を選んでいく姿、髪を七三に分けて背広を着た先輩たちを見て「自分はそのようにはなれないしなりたくない」と密かに心に誓い、静かな抵抗の道を選んだ。

  勉強が嫌いな訳ではなかった「受験」勉強が嫌だった。その先にある社会の体制に組み込まれていく自分が許せなかった。
 生意気な若造であった私は親と先生に向かって「私が年老いて死ぬ時、親や先生の言う通りの道を歩んで『こんなはずじゃなかった』と悔いて抗議したくてもあなた方はもうその頃にはこの世にいないでしょう。私の人生返してくれと言ったらどうしますか。

だから私に私の信じる道を歩ませてほしい。」と心から叫んだ。
 「勉強はするけども、入試のためだけの勉強はしません。その結果の落とし前は自分で取ます。」

  当時流行していたサルトルの「選びたまえ、君は自由だ」一行をお守りのように心に刻んで、このイキガッタ選択は「変わり者」としての道を歩む第一歩となった。
 それから50年近く年月が過ぎたがこの信条は続いている。おかげで人とは違った「着眼と発想」ができるようにもなってきた。