どっぷり工場めぐり・「I'll be back」

 先週の山口県の工場めぐりに続き今週は仙台の工場へ行ってきた。そして来週は岐阜の工場となっている。金型工場から身をひいてからは東京大学との共同研究でビルを中心に動いていたので7年ぶりに工場ドップリの日々がおくれている。最高に幸せな気分だ。町工場の倅として生まれた私は物心ついた時から工場現場が自分の世界だったから、いい年こえて工場から離れて別の業界は本当に別世界の居心地の悪さが心の片隅にあった。映画「ターミネーター」のアーノルド・シュワルツェネッガーばりに「I'll be back」と言ってみたくなった。「I'll be back」は未来人カイルの台詞だ。 
 工場のシステム作りばかりしてきたのに、工場システムから少し距離を置きだした理由には2つあった。ひとつは工場のノウハウを他の業態でも使えるように試してみたかったのと2つ目はインターネットと工場システムとをどう折り合いを付ければよいか分からなくなったためだ。1999年2月から始まったiモードが私を本気にさせてそれからドップリとインターネットにはまりまだまだマイブームは続きそうだ。
 やっと15年以上もたち世の中も工場にインターネットを活用しようと空気が流れだし、気の早い人たちは「第4次産業革命」とまで叫ばれるようになってきている。
 そんな中で、自分の中では2つの目の課題であった工場とインターネットとの折り合いをどうつけるかがはっきり見えてきた。うっすらと見えてきてたのは1年前で今年の2月にEspDragonFIMという製品を出しみた。半年前には今ほど確信は持っていなかった。FIMとはフィールド・インフォメーション・マネージメントという意味である。生産管理という狭義でなく工場現場全体の情報管理を意味することばを使った。
 なぜ言葉を変えたかというと従来そして今も使われて生産管理システムというのはどうも間違っているという気がしていたからである。直観といえば直観に過ぎなかったが、今は確信として「生産管理システム」は根本的な部分で実態と違って間違っているという言いきれる。こんな間違ったものを押し付けられてきたから現場が余計な苦労してきたのだと叫びたい気持ちでいっぱいだ。

山口県産業技術センター主催で講演

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IoT・インダストリー4.0は中小企業にとって大きなチャンスであるという主旨の話をしてきました。
  差別されている中小企業の現状すなわち設備機械や鋼材、工具が大手と同じ価格で買えるようになるはずである。何故ならばすでに消費者社会ではアマゾンや楽天で実現しているからその流れは工場にもやってくるであろう。
 ベンダーにロックオンされている、言い換えるとVerupや他メーカーに切り替えできないように仕組まれてマシン即ちベンダー主導型により高コストを強いられている現状に対して、ユーザー主導型に変えていける時代がくるであろう。などなど 新しい未来世界に向かうにはどうしたらよいかという話をさせて頂きました。

  

水素特区 周南市の「みらい」に乗せてもらいました

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水素特区 周南市の「みらい」に乗せてもらいました。実行走行距離500kmと聞いて驚きました。乗り心地もよくこれならいけるかも、あとは価格。300万円代にはなってほしい。

時代の流れ”IoT、インダストリー4.0”にどう対応していくか 3

  革命とは”ひっくり返す”ことだ!

 今現場ではIT(InfomationTechnology)とIoT(Internet of Things)の違いが理解されず混乱している。その理由(わけ)は、第4次産業革命が第3次産業革命の延長にからである。

 革命とはその時の権力に下の者たちが上を倒し取って変わることである。第4次産業革命が第3次産業革命の延長にあるとするとこれは”革命”でなくでなく”改良”または”進化”のほうが言葉として正しい。”産業革命”というのは単語は魅力的ではあるものの違和感を覚える。

 その違和感がどこからくるかというと”産業”を工場として限定しているからだということに気づいた。工場の効率を上げるのはITレベルであり、インターネットを使って劇的に工場の効率を上げる道はまだ見えていないせいだ。

 視点を変えて工場で作られる”もの”が計画、製造、販売、保守というプロセスという流れで見てみると、Internetを活用すると今後大きな変化、それも”革命”と呼ばれるにふさしいことが起きてくる可能性がある。
 ”産業革命”でなく”社会革命”とでも言うべきかもしれないと感じワクワク感を持っている。

  家電メーカーの凋落は一般の人でも理解できるだけいろいろニュースになっている。高度成長期は日本中に松下電器のお店がありメーカー主導型であった。若い人は知らないだろうがスーパーダイエーでは松下電器の製品を売れないということで松下幸之助と中内力が激突したこともあった。今や家電量販店が大きな力を持ち流通主導型に力関係は変わってしまった。”もの”のプロセスからすると次に主導的なプレヤーは消費者ということになる。消費者(ユーザー)主導に移行する当たりインターネットは大きな役割を果たすであろう。
 主導権がメーカーから消費者(ユーザー)取って変わることができるとすれば”革命”と呼ぶにふさわしいと思う。

 

時代の流れ”IoT、インダストリー4.0”にどう対応していくか 2

第3次産業革命を理解しないと第4次が見えてこない

第3次は、自動化とオートメーションの大量生産の時代と言われている。
 技術的な本質は、機械を電気で動くモーターとリレー回路をシーケンスに動くようにしたことによって人の手を使わずに”自動的”に作業するものを作りだしたことにある。
 言い換えれば、ものを作るという生産工程を自動化し、一日の生産量を人の労働時間8時間から24時間にし単純計算で生産性を3倍にできた。ただ”自動機”になじまない”組立”工程はベルトコンベヤーの前に立ち人が立たざるをえなかった。その理想と現実のギャップをチャップリンは映画”モダンタイムス”で表現した。
 FANUCの黄色アーム型ロボットにより、最後に残された組立工程をも”自動化”し人手を必要としなくなり、”完全無人工場”が実現するはずであった。
 工場は単一機種の生産であればあるほど段取りも、資材も同じですむので生産性は最大化される。作る側にとっては最高の条件である。しかし買う側である消費者はそれでは飽き足らなく、他とは違ったものを求める。そこで仕方なく工場は移り気な消費者に合わせて”多品種少量生産”をしざるをえなくなる。
 そこに運よく生まれたのがマイクロ・コンピュータである。それまで大型で超高額であったコンピュータが小型でかつ安価で出回る時代となった。変動する条件をコンピュータに即座に計算させシーケンス制御と連動させることで変動を吸収することができるようになった。
 当時私は町工場でこの移行の真っただ中いた。NC機械をCNC機械と呼ばれた頃である。CNCとはコンピュータ付きNC(Numerical Control)工作機械という意味なのだが、私はその意味がさっぱり理解できず複雑になったCNC工作機械を動かすことで悪戦苦闘した思い出がある。
 同じ第3次の自動化の世界は、まるっきり違うふたつラダーとプログラミングの世界がひとつになった時代ともいえる。
 第4次産業革命はこの第3次の世界をそっくりそのまま残して設計されている点が重要な視点である。

時代の流れ”IoT、インダストリー4.0”にどう対応していくか 1

”IoT、インダストリー4.0”にどう中小企業が対応していくべきかという内容での講演依頼が私のようなものにもきている。時代の流れを感じる。
 1990年wwwが生まれてインターネットが本格化の兆しだしたのが1995年。学生の遊びからビジネスのツールとして急激な普及が全世界に及ぶまでにたったの20年~25年間しかかからなかった。”梅毒”の普及速度と抜いてインターネットは人類史上最速に普及したものと言えるだろう。
  インターネットはヴァーチャル空間の上に成り立ち、それ故に国境を越え世界をつないできている。ビジネス面では緩い分野からどんどんインターネットを中心としたやり方が採用され普及してきている。対極に位置するリアルワールドの”ものつくり”世界での成功事例がまだほとんどない。よく事例の先頭に出てくるGEのジェットエンジンの保守サービスなどインターネットでの成功事例としはちっぽけなものに輪足には見える。何故ならそれにより出た効果は航空会社の年間燃料費の2%削減にすぎなからだ。

  私がやった”金型工場での情報化によるカイゼン”では経常利益を2倍以上という結果を出した。もしこの手法がインターネットによって出来たならば、1社1社は小さくとも世界中にある何百万社にも普及したならばGEのジェットエンジンの保守よりもすごいことになる。
 金型屋二代目として産湯につかっていたころから町工場の中にいて、30歳で第三次産業革命の”NC工作機械の導入により現場の効率化を計り、40歳代で家業を引き継ぎ社長となり、”情報化”を武器にした経営改革を行った。その後50歳代には金型工場からは離れ東京大学と産学連携においてインターネット・バイ・デザインによるビルのエネルギーマネジメントの実証実験を続けてきた。

  世界中に頭のよい人たちは山ほどいるが、私のようにリアルとバーチャルの2つの世界にどっぷりつかった経験を合わせ持っている人はそうざらにはいない。

 この”経験知・智”は希少価値である、それを持っている人間は”変わり者”ということだ。多分”変わり者”の話を聞きたいというのが講演会を企画した皆さんの思いなのだろう。

  

  

 

英国のEU離脱 楽観的な見方(1)

 6月23日はもうだいぶ古くなったが俵万智の「サラダ記念日」になぞらえて「英国孤立主義の復活記念日」と名付けてみたくなった。ネットでBBCの開票速報を仕事中に見ながら、勝敗の行方と地図を見ながら傾向分析に思いを巡らせていた。
 株価、通貨為替の暴落、リーマンショックを越える相場の反応もすごかった。なぜここまで「来るべき未来」に恐怖感を人は覚えるのだろうか。生来(せいらい)楽観主義の私には摩訶不思議な現象に覚えた。

  少し 理屈ぽっく 何故 楽観的にいられるのか解説してみたくなった。
 第一に歴史の流れから見てみると、元々英国は19世紀末から20世紀「光栄ある孤立」を掲げ約100年間外交政策を取り成功してきた国である。この伝統はECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)からEEC、ECそしてEUへの参加の時まで遺憾なく発揮されてきた。1956年から始まるEUの歴史の中で英国は遅れること20年1973年に参加を決める。当時は、これはこれで「英国が光栄ある孤立を捨てた日」として世界中大騒ぎであった記憶がある。

 1993年EUとしての大統合化が始まる。その翌年にヨーロッパ旅行をして体でその成果を体験した。空港に入ってパスポートコントロールがなくなって、旅の大事な思い出であるパスポートにその国のはんこをもらえなかった残念さを今でも覚えている。それから約20年で英国は再度「光栄ある孤立」にもどっていってしまった。

 大事なことは「孤立」であって「対立」ではないという点である。英国が「光栄ある孤立」選んでいる期間、2度の世界大戦があったものの決して戦争を好んだという事実はなく、逆に「違い」を前提に友好的な外交を自国に都合よく泳いできた。

  ということで、たとえ英国は「EUを離脱」しても、経済的に滅茶苦茶なことはしないとみている。

 EUはあらゆる分野で「標準化」を決め実行している所である。それをすべて反故にすることはないだろうし現実的不可能である。それは1983年に始まるエスプリ計画(European Strategic Program for Research and Development in Information Technology)をちらちら見ていて気の遠くなるような地味で綿密な営みを見ていた私の感想である。世界で一番 上手な妥協の道を選ぶ国であると信じておこう。

 中国と日本の関係は政治的は決していいとは言えないが経済、人的往来は良好である。ということは、英国とEUが日中間レベルまで戻ったとしてもそう心配することではないということだ。

 EUによって世界経済が大きな発展したとは思えない。EU以降の経済の原動力はITでありインターネット技術と金融工学によるデリバティブである。この間世界の経済成長のけん引力はアジアと中国である。アジアはEUのようにまとまるどころか未だに対立の緊張感につつまれている。それでも十分急速な発展をしてきた。

 マスコミから流される”思惑”と捨て単純な事実を拾いだし比べてみれば真実の姿見えてくる。

 続く